普天間問題Q&A

▼普天間基地の移設問題って何ですか?

 沖縄県は、1972年の日本復帰後も過重な基地負担を抱え、米兵による犯罪も相次ぎました。その沖縄県民の米軍に対する怒りが一気に爆発したのは、1995年に起きた米兵3名による少女暴行事件がきっかけです。宜野湾市で行われた県民集会には約8万5千人の人びとが集い、日本政府に対して沖縄の米軍基地のあり方を見直すよう求めました。それは同時に、「沖縄の問題は決して沖縄だけの問題ではなく、日本全体の問題だ」という本土の国民への問いかけともなったのでした。

日米両政府は、沖縄県民の怒りに対応するため、「沖縄に関する日米特別行動委員会(SACO)」を設置します。翌96年の最終報告で「世界一危険な基地」と呼ばれる普天間基地の返還、その条件として代替施設の建設を発表したのが、普天間基地の移設問題のはじまりです。しかし、代替施設候補地とされてきた名護市辺野古では住民を中心とした反対運動が展開され、SACO最終合意から14年経過した現在でも建設は行われていません。

・普天間基地ってどうして作られたの?

 沖縄戦が行われていた1945年、現在の宜野湾市にあたる農村地帯は、米軍によって強制的な土地の接収が行われ、本土攻撃のための滑走路が建設されました。戦後、避難先や収容所から戻った住民にとっては、自分たちの土地が米軍基地となり、立ち入り禁止となってしまったのです。これが何度か拡張され、1960年に米海兵隊の航空基地として整備されたのが現在の普天間基地です。

・普天間基地ってほんとに危険なんですか?

 普天間基地所属機による事故は、1年で約2.2件起きています。最近では2004年に沖縄国際大学で米軍ヘリ墜落・炎上事故が発生しました。また騒音発生回数も1年に2万回を超え、中にはPTSD(心的外傷後ストレス障害)などの健康被害を抱える住民も出てきています。

 その背景には、普天間基地が米本国では「違法」とされるような飛行場でありながら運用されていることが挙げられます。米軍基地には、滑走路の周辺には住宅や公共施設などがあってはならないというルールがあります。しかし、米本国とは違い、普天間基地など在日米軍基地では守られていません。また、普天間基地の所属機は30年以上運用されている機種もあり、老朽化も進んでいます。ですから、普天間基地の危険性が常に存在し続けたことは必然であり、基地被害の軽減や基地の返還を求める市民の動きは今に始まったことではないのです。

・新しく作ろうとしているヘリ基地ってどんな基地ですか?

 SACO最終合意が出された当初の案は、全長1500メートル(滑走路1300メートル)、幅700メートルほどの海上ヘリ基地でした。しかし、合意後すぐに住民の反対運動が広がり、名護市民投票では移設反対の票が過半数となります。当初の案は頓挫しました。

その後2002年には滑走路を延長した民間機との軍民共用空港という案が出されます。日本政府は建設に向けた調査(地質調査)に着手しました。しかし、これも海上での反対運動によって中止に追い込まれました。

 2005年にはキャンプ・シュワブの兵舎地区を活用し、一部海域を埋め立て、1800mの滑走路と格納庫、燃料補給用桟橋なども併設した多機能の軍事施設を建設する沿岸案が出されます。

さらに翌2006年には、周辺住民の安全と、騒音などの環境面に配慮するとの名目で、滑走路を2本に増やしたV字型案が出され、これが現在まで続く「現行案」となっています。 
 
しかし、この現行案についても米軍が最近になって考えだしたものではなく、1966年からそのモデルとなる計画が存在していたことが、すでに明らかになっています。ベトナム戦争時に米軍が計画していた大浦湾の軍港計画がそのモデルで、当時の財政難で断念したものでした。

地元の住民などからは、現行案のまま話が進むと、普天間基地と並行して、那覇軍港も大浦湾へと移設される可能性が高いことも指摘されています。今後、すでにあるキャンプ・シュワブや辺野古弾薬庫などを含めて、沖縄北部一帯が、ヘリ基地機能をも一体化させた軍事要塞としての性格を強めていくのではないかと危惧する声も出ています。

したがって、米国が狙っているのは代替施設どころか機能を強化した「新基地建設」であり、普天間基地を返還する代わりに、より機能の充実した新基地を日本政府のお金で建設したいというのが本音ではないかと言われています。

・移設することで沖縄県の負担軽減になるの?

 宜野湾市の中心部にあったものをさらに強化して辺野古に持っていくわけですから、墜落、騒音被害などの「負担」が軽減するとは決していえないでしょう。辺野古は宜野湾市と比べれば小さな集落ですが、基地の被害を受ける人の数が減ったからといって解決したとはいえません。

 それだけでなく、普天間基地とは異なる「負担」が追加されると考えられます。

第一に、新基地に配備される機種の問題です。日本政府はその存在をはっきりと明らかにしようとしませんが、米軍は新型機「MV22オスプレイ」を配備しようとしています。この機体は非常に不安定で、試作段階で墜落を頻発させ、米国の軍事評論家もその危険性を指摘しています。

 第二に、豊かな生態系が破壊されてしまいます。辺野古湾から北方の大浦湾にかけては天然記念物のジュゴンの北限とされ、また天然の良港として人々の生活にとっても重要な海です。このような自然を守ろうということで、アメリカにおいてジュゴン保護を求める訴訟が行われています。

・なんで10年以上経っても移設計画が進まないの?

 一番大きな要因は、移設先である名護市で、当初から住民を中心に粘り強い反対運動が続けられてきたことでしょう。SACO最終合意が出た直後から地元のおじい(おじいさん)、おばあ(おばあさん)を中心に反対運動が立ち上げられ、その動きが市民の側から普天間基地移設の是非を問う名護市民投票の実施、そして過半数の反対につながっていきました。

 そして日本政府の海上調査に対しては、海上での説得行動や、調査場所に座り込んで調査を止める行動が行われました。辺野古の反対運動に共感した個人や団体が、日本そして世界各地からも集まり、非暴力の行動で新基地の建設が止められたのでした。

 いまや沖縄県議会では県内移設反対でほぼ全議員が一致しています。さらに、今年1月には移設反対を掲げる稲嶺名護市長が誕生しました。移設反対を唱える名護市長の誕生は初のことです。これ以上基地は要らないという民意が反映された結果であり、粘り強い住民運動の成果だといえるでしょう。

・海兵隊ってどんな軍隊なんですか?

 米海兵隊は「殴り込み部隊」と言われる、19才から25歳までの若年兵を中心とする実戦戦闘部隊です。戦争が起きた際には真っ先に戦地に突入していきます。海兵隊は飛行機も軍艦も大砲も持っており、陸でも空でも海でも戦争ができる部隊です。海兵隊の実戦部隊は米本国以外には沖縄にしかいません。

・米国は普天間問題をどう捉えているのですか?

 96年のSACO合意以降に結ばれた日米両政府間での合意においては、普天間基地は一貫して沖縄県内(辺野古)に移設されるとされています。しかも在沖米海兵隊のうち指揮や司令を行う要員8000人がグアムに移転する計画と連動した事業となり、普天間基地の移設が進まないと計画全体が進まないというものとなっていました。

 しかし米太平洋軍の計画では、指揮や司令を行う要員のみならず、実戦を行う部隊も含めて沖縄からグアムに移転させ、グアムを一大軍事拠点として整備していく計画も出されています。その計画では、普天間基地もグアムに移設されることになっています。つまり、普天間基地は県内に移設しなければならないというのは日本側に根強い固定観念であって、米軍は必ずしもそのように考えてはいないということです。

・沖縄県の基地負担が減ると、日本は危なくないですか?

 在日米軍は周辺各国の脅威への抑止力として駐留していると言われていますが、それと同じように在日米軍を脅威として捉えることで、中国の軍備拡張や北朝鮮の核開発も同時に進んでいます。軍事力への依存は相互不信を生み、相互不信がさらに軍事力への依存を生み出す、といった負のスパイラルに陥ってしまいます。軍事力を背景にした外交政策は、今後東アジアにおいて、より一層の危険をもたらしていくでしょう。そうではなく、相互の信頼関係に基づき、相互に軍事力のコントロールと縮小を行っていく協調的な国際関係をつくる必要があります。

 また、基地があることによって、沖縄県民は日常的にも危険にさらされてきました。騒音被害、墜落事故、米兵犯罪などが数多く発生し、県民の命を奪うことすらありました。「日本の安全」と言った場合に、そのことを忘れてはならないでしょう。

・県内、県外、国外ではどれが良いの?

「県内」移設は、昨年の衆議院議員選挙での「国外、最低でも県外」という民主党のマニフェストに反します。また、現在では沖縄県議会でほぼ全議員が県内移設反対を掲げるようになり、移設先である名護市でも県内移設反対の市長が誕生したことで、沖縄県民の民意も裏切ることになります。

 「世界一危険な基地」である普天間基地を早期に閉鎖・返還することが、移設先探しの議論へとすりかえられていることこそが問題です。周辺住民の生命と暮らしをこれ以上脅かすことは許されないでしょう。

・なんで普天間基地の移設問題で話がこじれてるの?

 この間の普天間基地の移設問題についての報道は、鳩山政権の内輪もめや日米同盟の危機として伝えるものが多いように思います。しかし、根本的には沖縄県民が普天間基地の「移設」問題に、合意していないことが原因です。これまで普天間基地の返還プロセスの根拠となっていたSACO合意は、沖縄県民が関与することなく、日米両政府によって勝手に決められたものでしかありません。移設先とされた名護市の住民をはじめ、移設を交換条件にした普天間基地の返還を快く受け入れるような沖縄県民は、移設賛成派にもいませんでした。

普天間問題の発端は少女暴行事件から湧き上がった米軍基地に対する怒りであり、基地削減の願いであったはずです。それが基地撤去ではなく、「移設」ましてや「新基地建設」にすり替えられました。沖縄県と日本政府、そして沖縄県民と本土の人間との温度差は常に存在しつづけ、それが大きな矛盾として現れてきたのが昨今の普天間問題の政治問題化であるといえるでしょう。